
中日ドラゴンズ
生まれも育ちも名古屋市の中心部に位置する大須の外れな私にとって、物心ついた頃からプロスポーツと言えば「中日ドラゴンズ」でした。少年ドラゴンズに入会し、中日スタジアム(中日球場)〜ナゴヤ球場時代の外野席には頻繁に足を運んでいたものです(自転車で15分程度の距離)。
1974年に読売巨人軍のV10を阻止して20年ぶり2度目のリーグ優勝を果たした時のことは、押さないながらに鮮明に記憶しています。
ちなみに、当時のレプリカユニフォームは「背番号1」。二代目ミスタードラゴンズの高木守道さん。友達達と公園で野球をする際にはバッティングフォームを真似していたもんです。
※当時は公園で野球をすることができました。また、東別院の境内でも野球をしていましたが、怒られたことは無かったですね。お目こぼしだと思いますが、良い時代でした‥
立浪和義新監督
来季より中日ドラゴンズの監督が替わり、三代目ミスタードラゴンズ「立浪和義」が就任することが発表されました。
コーチ人事が非常に気になります。PL学園を象徴する選手と言われており、同級生はもちろん、先輩や後輩達からも慕われる人間性。
一部の報道では片岡篤史と中村紀洋の入閣を検討していると発表されました。片岡の役目は監督と選手や他コーチとの繋ぎ役的な役割りになるのではないでしょうか?
立浪新監督の良き相談役として、またはブレーキ役として重要なポジションだと思います。
中村紀洋は誰もが知るフルスイング男。実は、かなりの理論派でもあったりします。CSで包装されている「マサNOTE ~山本昌が記す球人の軌跡~」という番組で中村紀洋がゲスト出演した回は感銘を受けました。
投手コーチや守備・走塁コーチなど、まだまだ様々な名前が出てきそうですが、兎にも角にも人気取りよりも強いドラゴンズを作って欲しいと節に願う次第でございます。
